Chapter.1 〜第一章〜

 研究所の入口には、誰もいなかった。
 見えるものといえば、奥の部屋へと続く通路だけだ。壁はチタンか何かで出来ているのだろうか。弘樹が壁をたたいてみたが、特に反応はない。
「警備員すらいないのか・・・・・・?」
 源三が呟く。確かに通路には警備員が休む為かパイプ椅子が置いてあるが、そこには誰も座っていない。奇妙なことである。
「とりあえず、お邪魔するとしようか。」
 源三はまっすぐ奥の扉へと向かった。扉にはカードキーを通すカードリーダーがついている。
 源三はカードキーを通し、ロックを解除した。電子音と共に扉がスライドする。源三は大股に中に入り、弘樹もそれに続く。
 そこは、ホールだった。一階と二階に分かれており、一階には二つの扉が、二階には扉が一つある。
「ここにも誰もいない・・・・・・」
「いったい職員はどこにいるんだ?」
 源三は大柄な体躯を不満げに揺らし、ネクタイを緩めた。本来彼はネクタイなどつけないのだが、高崎警部に命令されてここに来る前に仕方なくつけたものだった。
「おい!誰かいないのか!」
 源三は声を張り上げて叫ぶ。だが反応なし。
「まったく・・・・・・おい、お前右のほう探せ。俺は左を探す。」
 そういって、源三は左の扉に向かった。弘樹はあわてて言う。
「ちょっと、いいんですか!?勝手に中歩き回っちゃって!」
 高崎警部から勝手に動き回るなと忠告されたことを彼は知らないが、それでも勝手に中を歩き回るのはどうかと思う。下手をすれば不法侵入だ。警察なのに。
「いいんだよ。どっちにしろここには誰もいないしな。とにかく誰か探して、そいつに案内させればいいだろう。お前も探せ。ほら、とっとと行け。」
 源三は上司の忠告を完全に無視し、そのまま弘樹に背を向けて扉を開けた。中に入り、扉を閉める。
「あ〜あ。いいのかなあ・・・・・・勝手に動いても。このことがばれたら高崎警部怒りそうだな・・・・・・あの人野心家で有名だし。」
 彼らの上司に当たる高崎警部は、影で権力欲が強いことで有名になっている。どうやら本庁への栄転を狙っているらしく、部下に対して融通が利かなく、細かいミスでもしつこく嫌味を言う。上司やお偉い方には徹底的に媚びる。はっきり言って部下から見れば嫌な上司である。
「まあいいか。誰もいないんじゃ捜査しようがないし・・・・・・」
 その捜査といっても、おざなりなものだが。
 弘樹はため息をついて扉を開けた。金属製の扉は思ったより重く、両手で押して開けなければならなかった。
 後から思えば、このとき引き返していればまだ無事に帰れたかもしれない。過去に起きてしまったことに対して『もしも』という言葉を使うのは無意味だが、もしもこの時彼らが引き返していたなら、この後の事態は変わっていたかもしれない。
 だが、彼らはこの道を選んでしまった。人の価値観はさまざまだが、今回に限って言えば最悪のカテゴリーに属する道を選んでしまったと言えよう。

 アンブレラ日本支部。研究所地下二階。セクションα。
「侵入者二名。身元の照合が終了しました。」
「誰だ?」
「若い方は斉藤弘樹。県警の警察官です。もう一人は安藤源三。同じく警察官で、例の事件の捜査の為にここへ訪れる予定でした。」
「私は聞いていないぞ。」
 いらだった表情で、主任研究員のエドガー・クウェルは振り返った。
 その表情に気圧されたように、ジェイク・ハンドラは一歩下がる。
「・・・・・・そうでしたか。こちらの連絡ミスです。すみません。」
「ふん。まあいい。しかし、捜査はもう終わったはずではないのか?」
「そのはずでしたが、その二人に追跡調査の命令が下っています。命令したのはこの二人の上司。情報から推測したところ、どうやら独断で捜査の命令を下したようです。」
「ほう。その男は自らの昇進を考えていないのか?それとも・・・・・・誰かの差し金か。」
 腕を組み、エドガーはソファに座る。
「通話記録によれば、前日の夜に警察の幹部から電話が入っていました。おそらくそいつでしょう。追跡しましたが、だめでした。正体は不明です。」
「構わんさ。たかが刑事の二人、勝手に死んでいくだろう。だが地下への入り口は封鎖しておけ。」
「了解。」
 軽く頷いて、思い出したようにジェイクは付け加えた。
「それと、まもなく最終作業が完了します。脱出の準備に取り掛かりましょう。」
「そうだな・・・・・・もうここにも用はない。『Sovereign』の最終作業が終了し次第撤収できるようにしておけ。ヘリの用意は?」
「まもなく完了します。」
「よろしい。外の実験体の処理を忘れるな。作戦が完了し次第施設を破棄する。実験データと『Sovereign』さえ手に入ればいい。」
 そこでエドガーは立ち上がった。ジェイクの方を向き、一言。
「侵入者が万が一地下に侵入したら・・・・・・『Sovereign』を使う。念のためシステムを制御下において起動準備状態に。」
「了解しました。」

 狭い通路を抜け、弘樹は角を曲がった。
 目の前に見える扉は三つ。どれにする?
「地図があればなあ・・・・・・」
 独り言をつぶやいて、彼は一番手前の扉を開けた。特に理由はない。ただなんとなく選んだだけだ。
 鍵は掛かっていなかった。中に入り、人を探す。
 誰もいない。
 そこは個室のようだった。一流ホテル程ではないが、それなりに設備の整った部屋だ。
「誰かいませんか?」
 勝手に部屋に入ったのはまずかったかな・・・・・・と思いながらも、弘樹はあちこちを探す。トイレにバスルームも探してみたが、誰もいない。人がいたという痕跡すらない。
「どうなってるんだ?」
 もう一つの部屋も見て回ったが、そこも同じだった。誰もいない。人がいたという痕跡すらない。
 残っているのは、通路の中央の扉のみ。気のせいだろうか。何か禍々しい雰囲気のようなものが、その扉から漏れているような気がする。
「気のせいだよな。」
 自らに納得させるように言うと、弘樹は扉の前に立った。自動開閉式のドアが作動し、扉がスライドする。
「うっ・・・・・・」
 彼は息を飲み、吐き気を抑ようとした。だが我慢しきれずに、嘔吐してしまう。
 彼の目の前にあったのは・・・・・・
 大量の、死体だった。

 リボルバーを手に、源三は一際大きい扉を開けた。
「ここは実験室か何かか?」
 その部屋の中央には4つのカプセルがあった。その内3つは割れている。
 拳銃を構えて、源三はそのカプセルに近づく。油断は禁物だ。もしかしたらまたあいつのような異常者が出てくるかもしれない。
 その部屋の一つ前の通路には、白い服にバッジをつけた死体が転がっている。多分ここの職員だろうが、先ほどそいつがいきなり飛びついてきたのだ。

 最初は訳がわからなかった。だが、腕を食いちぎられそうになって、長年の訓練で鍛えた柔道の技がそいつに炸裂した。
 だが、通常の人間ならば気絶してもおかしくない衝撃を受けながらも、そいつは立ち上がってきた。鳩尾を殴っても、まるで痛みを感じないかのように。
 こんなやつには今まで会った事がなかった。麻薬などで感覚などを無くした奴には出会ったことがあるが、こんな奴にははじめて出会った。
「動くな!」
 そう言って、拳銃を構えた。だが、そいつは警告を無視し、なおもこちらに迫ってきた。
 もう一度警告したが、そいつは無視した。源三は右脚に銃口を向けると、引金を引いた。
 弾丸はそいつの右脚を貫通した。だが、弾丸をくらっても倒れない。
 それどころか、そいつは右脚にまったくダメージを受けていないようだった。滴り落ちた血が凝固する。
 それを見て、源三は不審に思った。なぜそんなに早く血が固まるんだ?
 通常、血が凝固するのはその人間が死んでいる場合においてだけだ。生きている人間の血は、こんなに早く凝固しない。ではなぜ?
 その疑問は、やがて一つの確信に変わった。ああ、そうだ。こいつはすでに死んでいるんだ。だから痛みを感じない。なぜなら、すでに死んでいるから。簡単なことだ。
 死んでいるのにどうして動いているのかなどということは、どうでもよかった。源三はそいつに肉迫すると、首に手加減無用の手刀を叩き込んだ。
 骨が折れる音がして、そいつは倒れた。源三は銃を構えるが、そいつは動かない。
 予想通りだった。こいつは脆い。通常の人間と違い、内部組織の腐敗が進んでいる。おかげで本来ならば気絶させるぐらいの力しかない手刀でも、あっさりと頸骨を折る事が出来た。何処が弱点なのか分からなかったのでとりあえず適当な場所に攻撃したんだが、どうやら正解だったようだ。

「う・・・・・・うう・・・・・・」
 その時、のどの奥から搾り出したような、かすかな声が聞こえた。さっきのことを考えていて注意が散漫になっていた源三は、慌てて声が聞こえたほうに銃口を向ける。
 カプセルを迂回して、奥のコンソールの方へと目をやった。
「大丈夫か!?」
 そこには、コンソールにもたれかかるようにして、腹から大量に出血した職員の姿があった。その男の目はうつろで、腹には大きな穴があいている。
「しっかりしろ!一体何があったんだ?」
 源三は男の腹を手で抑えて、止血を試みた。だがそんな事をしてももう無駄だという事が分かる。この男は助からないだろう。
 最後の力を振り絞って、男は源三の肩を掴んだ。言葉を搾り出すように、途切れ途切れに言った。
「Edgar・・・・・・『Sovereign』・・・・・・」
 英語で、男は何かを呟いた。だが、彼に聞き取れたのは二つの単語だけだった。
『Edgar』と『Sovereign』。エドガーというのは人の名前だろうか。だが、もう一つの単語は何を表しているんだ?
 やがて、男は力尽きた。肩を掴んでいた手の力が抜ける。
 源三は悪態をついて立ち上がった。その時、後で何かが割れる音がした。
 ピキッ
 その音は、やがて連鎖してゆく。源三は床に置いた拳銃を掴むと、シリンダーから空薬莢を抜いた。新しい弾丸を装填して、後ろを向く。
 バリン!
 カプセルが割れた。中から出てきたのは、人間と爬虫類を無理やり融合したような歪な形の生物。歪んだ美の象徴。
 そいつは源三を見た。20センチ近い大きさの10本の爪を持ち、硬い皮膚をもつ、獰猛なハンターが、彼を敵と認識した。いや、あるいは獲物か。
 そんなことはどうでもいい。
 源三は年に似合わない俊敏さでハンターの一撃を避けた。狭い室内なので、ハンターはその強靭な脚を利用した跳躍を行う事が出来ない。
 だが、それでも狩猟者は速かった。即座に彼を追尾し、その長い爪を彼の背中に突き立てようと腕を伸ばす。
 だが、その攻撃は失敗した。源三はまるで背中に目があるかのようにハンターの攻撃を避けると、そのままその腕を掴み、ハンターの運動エネルギーを利用して一気に投げ飛ばす。
 そいつは予想もしなかっただろう。まさか自分がこんな矮小な存在にやられるなんてことを。
 どんなに優れた力をもっていたとしても、それを使いこなせなければ意味がない。単純な力押しでは、いつか絶対に負けてしまう。それを彼は経験で学んでいた。
 さっきの攻撃を避けたのも、全てはいつもの鍛練の成果だ。ハンターの鋭利な殺気。それを避けることなど造作なかった。十分に予想できる攻撃だったから。
 怒りの唸り声を上げてハンターが起き上がった。壁に叩き付けられたにもかかわらず、まるで怪我などしていないかのように。いや、あの程度で怪我などしていないだろう。
 だが、今は相手をしている暇はない。
 その部屋を出て、源三は扉をロックした。中からハンターが扉を叩く音が聞こえてくる。彼は安堵の息をつく。
 その時だった。腰の無線機が鳴ったのは。
「どうした、斉藤?」
 だが、声は聞こえてこなかった。聞こえてきたのは、雑音と銃声。
「何があった!?応答しろ!」
 だが、弘樹の声は聞こえない。無線機から聞こえるのは、大量の足音と呻き声のような音だけ。やがて無線機は沈黙し、何も聞こえなくなった。
「くそっ!」
 源三は駆け出した。弘樹に何があったのか。
 それは、簡単に予想できた。

 胃の中が空っぽになるまで吐いて、ようやく吐き気が収まった。意を決してもう一度死体の山を見たとき、その真中にただ一人立ち尽くす人影を見つけた。
 生存者か?
 その時、彼はそう思った。
 だが、その人間が顔を上げた時、その考えは崩れ去った。
 喰われている。
 そいつは人間ではない。顔のあちこちが喰われ、普通なら死んでいるはずだ。それなのに、その事にまるで頓着せず、こっちに向かってゆっくりと歩いてくる。
「あ・・・・・・ああ・・・・・・」
 恐怖の余り、まともに声も出ない。彼の周囲で死体だったはずのものたちが次々と起き上がり、こっちに向かって歩いてくる。
 そいつらは生きている? 答えは否。
 そう、そいつらは死んでいる。いや、死んでいなければならない。なのに、そいつらは起き上がってくる。
 まるでホラー映画のワンシーンのような光景。現実という存在から乖離した、純然たる『非日常』。
 死体が次々と起き上がり、生きている人間を喰い、自らの仲間とする。そんな、『ありえない』こと。 常識から見ればこんな光景は虚構に過ぎない。だが、今彼が見ているこの光景は悪夢であり・・・・・・真実だ。
 彼の足元にいた死体が起き上がった。腹を大きく切り裂かれたそいつは、弘樹を前にして笑ったように見えた。
「う、うわああああ!!!!」
 無意識のうちに、左手に持っていた無線機のスイッチを入れた。そいつは彼に掴みかかり、肉を求めて噛み付こうとする。そいつを引き剥がす時、彼は無線機を落とした。
「来るな!」
 弘樹はそいつを引き剥がすと、拳銃を取り出した。躊躇せずに銃口を向けて、引金を引く。
 弾丸はそいつの頭に当たった。頭を狙ったのは、前に見たホラー映画でみたゾンビの弱点が頭だったからだ。
 射撃の前の警告などしない。威嚇射撃も意味がない。死んだ人間に警告してどうする?
 そいつはまさにゾンビと現わすのが最も適切だった。死んでいるはずなのに動いている存在。人の肉を喰らう、異形の化物。
 ゾンビは倒れ、そのまま動かない。だが、次々と新たなゾンビが迫ってくる。まさに地獄としかいいようのない光景。
「あ・・・・・・」
 もはやまともに喋る事さえも出来ない。彼は願った。この悪夢から逃れる事を。これは夢であり、現実ではない。彼は自分にそう言い聞かせようとした。
 だが、目は覚めない。そう、これは現実。現実であり、真実。そこから目をそらす事は出来ない。
 パニック状態に陥った彼に、異形の死体は迫っていった。
 そう。これは地獄。地獄への道を選んでしまった哀れな人間の、血みどろの物語。

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