第一章
◇
23:20 pm
◇
船内の大ホールで行われたパーティは終わりを迎え、乗船客は皆各々の船室へと戻っていた。
ここは、大型客船の中。日本を出て太平洋上に浮かぶ瑚梗(こきょう)島への航海を終えたばかりである。
そんな中、御影紫苑(みかげ しおん)、石原一真、渡邉祐樹の三人は、船室で話し込んでいた。
彼らは大学の同じサークルに所属している友人同士で旅行計画を組み、この船に乗り込んでいた。
他の船室にも、彼らと同じく集まったサークル仲間がいる。
「明日、楽しみっスね。」
一真がわくわくした様子で言った。
「そうだな。森の中でのサバイバル体験なんか、そうそう出来るもんじゃないからな。」
「興奮して寝れないかも知れないッスよ。」
「お前は遠足前日の小学生か・・・。」
「はははっ」
紫苑の一言に皆が大笑いした。
「さて、明日は早いみたいだし、もうそろそろ寝るか。」
「そうッスね。途中でへばったりしたらかっこ悪いッスから。」
「確かに。女の子には負けられんからな。」
言いながら、紫苑はベッドに入った。
「・・・!?」
突然、何かに気付いたように、紫苑は船室の窓に駆け寄り外を見た。
「どうしたんですか?何か見えます・・・?」
怪訝な顔をして祐樹が聞く。
「いや、なんとなく・・・。外に誰かいるような気がした。(今のは・・・?)」
「まさか。無人島のはずですよ。何年か前にどっかの企業が買ったらしくて、そこを借りてのサバイバル体験だって聞いてますよ。」
「ああ、オレも聞いた。」
「動物か何かが通ったんじゃないですか・・・?って、すごい感覚ッスね。」
「かもな。ま、いいや、気のせいだろ。寝よう。お休み。」
紫苑は勤めて明るく言った。
「お休みッス。」
「お休みです。」
紫苑は、皆がベッドにもぐりこんでからも妙な胸騒ぎがしていた。
「(気配が完全に消えやがった・・・。気を締めておいた方が良さそうだな。嫌な感じがする・・・。)」
そう思いながら、紫苑は眼を閉じた。
◆
ずず・・・ ずず・・・
音がする・・・。引きずるような奇妙な音だ。
少しずつ船に近付いてきている。
そして、それは一つだけではなかった・・・。
◆
1:28 am
◆
「っ!」
紫苑は飛び起きた。
うわああああああああああっ!!
船内にこの世のものとは思えない叫び声が響き渡った。
「!?」
「なっ、何!?何だ今の!?」
ぐっすりと寝ていた二人も、その声で飛び起きた。
他の船室にいる乗船客も目を覚ましたのだろう。
それらとほぼ同時に、船内が騒然とし始めた。
「外・・・!?」
一真が扉に駆け寄り、外へ出ようとした。
「やめとけ・・・。カギを掛けて中にいた方がいい。」
「(は、速・・・!!)」
紫苑が一真の腕を押さえ、静止した。それを見た祐樹が眼を丸くする。
「な、何でですか!?外の様子見た方が・・・!って、いつの間にそこに来たんスか!?」
「んな事ぁいいから。とにかく今はまだ動かない方がいい。何か嫌な予感がする・・・。あいつらにも連絡しといてやってくれ。絶対に外へ出るなってな。後、荷物もまとめるように。」
「・・・。わ、分かりました。」
一真はしぶしぶカギを掛けなおし、自分のベッドに座って連絡を始めた。
祐樹もそれに倣う。
紫苑はそのまま扉の前で、外の様子をじっと伺っている。
その時、紫苑の携帯電話が鳴り出した。携帯電話を取り出し、表示を見る。
“水那瀬深月(みなせ みつき)”と出ている。紫苑は通話ボタンを押した。
「・・・深月ちゃん?」
〈は、はい!せ、先輩、今のは・・・!?〉
「まだ、分からない・・・。けど、絶対に部屋からは出るな。カギを掛けて中にいるんだ。」
〈え?で、でも・・・。〉
「何があったのか全く分かってないだろ?こういう時は無闇に動かない方がいい。他の部屋からは出て行く連中もいるだろうが、君らは絶対に出るな。」
〈・・・はい。分かりました。〉
「後、オレ達以外の誰が来ても絶対に開けるんじゃない。例えそれが助けを求めてたとしてもだ。いいな?」
〈で、でも、それは・・・。〉
「それが本当に助けを求めてるかどうかなんて分からない。仮に、本当にまずいんだとしても、君らの力に適うとは限らないだろ?巻き込まれでもしたらそれこそ悲惨だ。冷たいようだが、今は自分達の身を第一に考える事。他はその後だ。」
〈・・・はい・・・。〉
「・・・うん。その部屋のみんなにも言っといてくれ。」
〈はい。あ、他の部屋は?〉
「他の部屋には祐樹達が連絡してる。大丈夫だよ。」
〈・・・うん。〉
「落ち着けよ。難しいかも知れないが・・・、こういう時は取り乱したら終りだ。」
〈うん・・・!〉
「また、連絡する。一応、自分達の荷物を整理して、いつでも動けるようにしといた方がいい。着替えも済ませておくようにな。」
〈分かりました。みんなにもそう言います。〉
「ああ。じゃ、また後で。」
〈はい!〉
紫苑が電話を切る。と、一真も話し終わったようだ。
「今の、みっちゃんですか?」
「ああ。どうやら、あいつらは大丈夫らしい。そっちは?」
「俺が掛けたとこは大丈夫みたいですよ。外にも出てません。」
「そうか。とりあえず、今すぐどうこう、って心配はなさそうだな。」
引き続き外の様子を伺う。
「他の部屋の奴らも騒ぎ出したな。まぁ、当然だが・・・。」
ガチャッ!!
〈・・・!! ・・・!!〉
「隣の部屋の人達が出て行きましたよ・・・?」
「みたいだな。身一つで夜のジャングルに入るようなもんだぜ。他にも何組か出て行ったようだ。」
「さっきのについてアナウンス位あってもいいはずですよ。何で何も言ってこないんだろう・・・?」
祐樹が電話をかけながら言った。
「! まさか・・・、さっきの声は機関室か!?」
「げ・・・!?」
「だとしたら待ってても音沙汰無し・・・だな。」
「じ、じゃあやっぱり・・・!」
「いや、ここにいろ。船全体が吹っ飛ぶ、って雰囲気じゃない。その心配はなさそうだ。」
「で、でも!」
「オレが外の様子を見てくる。絶対にここから出るんじゃない。多分ないとは思うが、オレ達と一緒に来たメンバー以外の誰が来ても絶対に開けるな。」
紫苑は着替えながら言った。
「そ、そんな事言って、一人だけ逃げるつもりじゃないですよね!?」
「・・・んな事するかよ。ま、すぐに逃げられるように荷物はまとめとけ。」
「分かりました。で、でも大丈夫なんですか!?」
「大丈夫さ。オレ強えから。」
「・・・。」
「黙るなよ・・・。ま、いいや。くれぐれも、開けるんじゃないぞ。」
「は、はい。」
紫苑は着替えを済ませ、ドアに近付く。その時、
ひいぃぃぃっ!! ぎゃああああっ!!
「!」
「・・・・。っ!また声が・・・。っ!?」
「す、少し遠いですよ、今度は・・・。」
紫苑はドアノブを握ったまま動かなくなった。
「い、行かないんスか?」
「いや、外の様子がな・・・。部屋に残ってる奴等の気配は、残ったまま・・・。ま、それは当然なんだが・・・、出て行って騒いでた奴らの気配が、声と一緒に散り散りになって・・・その後三分の一位が各個に消えた・・・。何だ、この滅茶苦茶な動きは・・・!?何かから逃げてるのか? ! また少し消えた・・・!っ・・・どんどん消えて・・・っ!?気配が・・・増えた・・・!?何が起こってるんだ!?」
「え!?ど、どういう事ッスか!?ってか何で分かるんスか!?」
「まずいな・・・。とにかく、何度も言うが絶対出るんじゃない。オレが出たら、ちゃんとカギ掛けろよ。」
「って行かないほうがいいじゃないスか!」
「定期的に連絡入れるよ。じゃ、後は頼む。」
「けど・・・!」
ガチャッ・・・ ヒュ・・・!
紫苑はドアを開け、外の様子を一瞬伺うとすぐに出て行った。
「ちょっ、御影さん!何か持って行かな・・・!?も、もういねぇ・・・。」
「え!?は、速・・・!そういや、さっきも・・・。」
「か、カギ掛けねーと・・・!」
一真はあたふたとドアを閉め、カギを掛けた。
◆
1:55 am
◆
船室を出てから約10分。紫苑は甲板に出ていた。
少し強い風が吹いている。
月明かりが辺りを照らしており、特に眼を凝らす必要もなく周りを視認する事が出来た。
ここに来るまで、紫苑は船内で誰とも会っていなかった。
まるで、誰もいないかのように、不気味な静けさが辺りに充満している。
「(気配はするんだ・・・。祐樹達やみんながいる所は問題ない・・・。他にも船室に残ったままの人達の気配もある・・・。けど、この気配は・・・。それに、何だこの匂い・・・?)」
紫苑の感覚は、常人よりも遙かに研ぎ澄まされている。
普通ならば決して気付かないような、野生動物ですら聞き逃してしまうような極僅かな音でも感じ取れる程に。
その彼の感覚に、入り込んでくる何かがある。
さらに、辺りには肉が腐った様な匂いが漂っていた。
「船の中も匂ってそうだな。だけど、匂いの元はこの島・・・かな。着いた時にはこんな匂いなかったのに。」
風向きにでもよるのか、匂いは島から流れてきているようだった。
「(隣や他の出て行った奴らはどこへ行った・・・?それに・・・調べに廻ってる船員すら一人もいないってのはどういう事だ。) !」
紫苑が辺りを見回した時、その視界の端に動くものを捉えた。
咄嗟に身をかがめ、その方向の気配に意識を集中させて探る。
「今のは・・・!?」
かこ・・・・ん・・・
紫苑は傍にあったデッキブラシを持ち、身をかがめたままゆっくりと進み始めた。
「(気配がない・・・。オレに気付いて消したのか・・・それとも・・・。)」
耳を澄ませる。が、やはり物音一つない。
「(・・・。ここまで近付いても分からんな・・・。消してるんだとしたら相当な腕だ。迂闊には動けないが・・・いつまでもこうしてる訳にもいかない・・・か。)」
す・・・っ・・・
紫苑はそっと身を乗り出した。
「!? これは・・・。」
それを確かめた途端、紫苑の身体から一瞬緊張が解けた。
「ただの布切れ・・・か・・・。風で舞ったのが一瞬見えた、ってとこかな。」
と、その時・・・。
ぎゃあああああああああっ!!!
「っ!!」
また、断末魔とも言える恐ろしい程の声が響き渡った。
船内の通路で反響でもしたのか、船全体から発せられたようなとんでもない叫び声だった。
「下から・・・!ちぃっ!」
紫苑は飛ぶように船内へと駆け戻った。
「下への階段は・・・、確かあそこに・・・!」
船室で見た見取り図を思い出しつつ階段を探す。
程なく見つかり、紫苑はそれをゆっくりと降りていった。
「‘弦(いと)’だけでも持って来るんだった・・・。使い慣れた物が何もないって事をしっかりと認識しとかないと、咄嗟の時にバカ見る事になるな。」
紫苑は、手に持ったデッキブラシを軽く振りながら一人ごちた。気を鎮め、自身の気配を絶ちつつ階段を降り切って、船内の廊下を進む。
「! (匂いが強くなってる・・・?)」
島から漂っていた匂いが、階段を下りて進むに連れ、篭もったように少し強くなっていた。
周りの全てを把握しようと五感を開放し、意識を集中する。
「(誰かいる・・・。)」
紫苑の感覚が、通路の影にいる者を捉えていた。集中力を高め、自分を闇に溶け込ませる。
「・・・。!(船員・・・!?) おい!一体何があったんだ!?」
そこにいたのは、この船の船員だった。無事なのを確認し、その肩を掴んで声を掛けた。
「っ!? ひ、ひいいいっ!!」
と、その船員は必死の形相で紫苑の手を振り払い、腰が抜けたまま逃げようとした。
「な!?お、おい!どうした!何で逃げるんだ!?」
その反応に不可解なものを感じつつも紫苑は言った。
「・・っ・・・!!」
それでも、その船員は怯えたままの状態だった。壁にぴったりと身体を寄せ、紫苑の方を見ようともしない。
「・・・分かった。そのままでいいから、何があったのかだけでも教えてくれ。」
紫苑はできるだけ穏やかに言った。しばらく待って、ようやく船員が口を開いた。
「ば・・・、ばけもの・・・」
「化け物・・・?一体何を・・・?」
「そ、そっち・・・」
船員は震える手で指差した。
「オレが来た方・・・?いや、そっちの先か・・・。何を見たんだ!?」
「・・・っ・・・!!」
船員はしきりに首を振り、今度は何も答えなかった。
「・・・。分かった。ここで待ってろ。」
紫苑は船員が指差した方向に、静かに歩き出した。
角を曲がり、その先へ・・・。
しばらく進むと、床に何か落ちていた。
「? これは・・・」
血だった。大量、という程ではないが決して少なくはない。
10cm程度の血の染み、それが点々と続いていた。
「かなり出血してるな。普通のケガじゃない・・・。オレらの部屋との位置から考えて・・・ここが最初の叫び声・・・か。さて・・・。 ?」
少し先の血痕のすぐ傍に、血とは明らかに違う液体が落ちているのを見つけた。
「何だ・・・これ・・・?」
紫苑はかがみ込み、よく見ようとそれに顔を近づけた。
「ぐ・・・っ!?に、匂いの元はこれか!?思い切り嗅いじまった!め、眼が・・・!」
紫苑はその余りの匂いに、涙目になりながら悶絶した。
液体は鼻を突く腐敗臭を放っており、見た目にもドロリとした気味の悪い粘液状になっていた。
血痕と同じように、先へと続いている。
「・・・っ。な、何なんだこりゃ・・・?血と同じ方に・・・?マジかよ・・・・。」
続く血の後を見据える。が、紫苑の足は動かなかった。いや、動けなくなったのだ。
「(また匂いがきつくなったな・・・。まさか、この匂いの元と、これをやったのは同一のものなのか?・・・一度、部屋に戻った方がいいかも知れんな・・・。これじゃ余りに頼りない。)」
血の跡と液体を調べつつ、そしてそれが続く通路の先を見ながら紫苑は考えていた。その時・・・。
ひ・・・く、来るな・・やめ・・・や、ぎゃあああああああっ!!!
「っ!!」
紫苑の後ろ、来た方向から叫び声が上がった。
「まさか・・・さっきの!?ちっ・・・!」
紫苑は弾かれるように駆け出した。気配を絶ち、音を立てずに元の場所に戻る。
「っ!!な・・・!?」
が、そこに船員の姿はなかった。
壁や天井にまで飛び散った大量の血。
そして、真っ赤に染まった帽子が落ちているだけだった。
ガンッ・・・!
「くそっ・・・!引きずってでも連れてくるんだった・・・!!」
紫苑は壁を殴りながら吐き捨てるように言った。携帯電話を取り出し、ボタンを押す。
「・・・オレだ。誰も来てないか?」
〈い、いえ、誰も来てません・・・。ってか、大丈夫スか!?〉
「そうか。もう一度言うが、絶対に外に出るな。下手すると死ぬぞ。」
〈えぇ!?何かあったんスか!?〉
「今、その現場にいるんだが・・・最初の声が聞こえてから今までに、少なくとも二人は襲われてる。とっくに殺られてるのか・・・まだ生きてるのかは分からんがな・・・。」
〈な、何かって何スか!?〉
「・・・いや、それが何かはまだ。」
〈マジで大丈夫なんスか!?〉
「今の所オレは大丈夫だ。まだ遭ってない。」
〈も、戻ってきて下さいよ!あの後も二回ほど声聞こえたじゃないスか!!〉
「ああ、そのつもりだ。これから一端戻る。慣れたものを何も持ってないんじゃ、さすがに心許なくなってきたんでな。で、他のみんなと合流しよう。すぐ動けるように準備しといてくれ。」
〈わ、分かりました。ちゃんと帰ってきて下さいよ!?〉
「うん。みんなにも連絡頼む。外に出ないように、もう一度念を押しとけよ。」
〈分かりました。気を付けて。〉
「ああ、じゃあな。」
電話を切り、もう一度かけなおす。
「・・・オレ、御影だ。深月ちゃん?」
〈はい・・・!あの・・・、また声が・・・。〉
「ああ。今、その声の現場にいる。」
〈っ!?な、何してるんですか!?あたし達には出るなって言ったのに!!〉
「分かってる。でも気になったんでな。ここから出るにしても少し調べとく必要がある。何も分からずにみんなで出て、全滅なんて事になったらシャレにならんだろ?」
〈で、でも・・・!!〉
「今から戻るよ。それよりも・・・、誰も出て行ってないよな?」
〈う、うん、出てない・・・。〉
「よし。そのまま絶対に外には出るな。何か入り込んで、少なくとも二人襲われてる。」
〈え・・!?な、何にですか!?〉
「まだ分からない。出遭ってないんだ。ただ、今この場所は壁や天井一面が真っ赤だ。・・・血でな。」
〈っ・・・!せ、先輩・・・、本当に大丈夫なんですか!?〉
「オレは大丈夫。すぐ戻って、荷物まとめてから君らの部屋に行く。他のみんなとも合流して、ここから出よう。」
〈は、はい・・・!〉
「しつこいようだけど、オレ達以外の誰が来ても絶対に開けるな。部屋を出る時にまた連絡する。君らの部屋はオレ達の真上のはずだからすぐに着くよ。着いたら君の名前を呼びながら、ドアを三回叩く。これを合図にしよう。」
〈はい・・・!〉
「ん・・・。じゃ、また後でな。」
〈絶対、来てくださいね!?気を付けて・・・!〉
「ああ。」
携帯電話をポケットにしまい、紫苑は階段を登る。
ふと見ると、ここでも点々と血の後が続いていた。
「! (上・・・か。)」
ふ・・・・
紫苑は気を引き締め、気配を消した。辺りを伺いながらゆっくりと脚を運び、階段を登り切る。
「(オレ達の部屋とは逆に・・・?いや、部屋の方にも続いてる。・・・ここまで来たら・・・見ておくか・・・。でも、これは・・・襲った奴が連れてったのか、それとも、ケガをした後、歩いてったのか・・・。どちらにしろただ事じゃないな・・・。)」
紫苑は血痕を調べながら呟いた。
「さて・・・と、どっちを先に調べるかな・・・。! またこの匂い・・・。」
鼻を突く嫌な匂いが立ち込めていた。それも、これまでで一番強く・・・。
「(近い・・・って事かな・・・。さて・・・。 !)」
ズズ・・・・・・ズズ・・・・・・
「(部屋とは逆の方から・・・。この音・・・引きずってるのか・・・!?なにを!?)」
紫苑は通路の角から覗き込んだ。
「! (人・・・か!?)」
10mほど離れた所に、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いている人間がいた。
背格好からして男のようだが、足を引きずるようにして、ようやく歩いている、といった感じだ。
「(この音は足を引きずってる音か・・・。足に怪我でもしてるのか?しかし・・・やけに薄汚れた格好だな・・・。さっきのパーティじゃ見かけなかった気がするが・・・あんな奴この船にいたのか・・・?)」
そいつはぼろぼろの布切れにしか見えない程薄汚れたものを身に着け、左右にゆらゆらと揺れながら歩いていた。
「(この匂い・・・あいつから・・・!?)」
紫苑は気配を消しつつゆっくりと通路に出た。警戒しながら声をかける。
「おい・・・!そこで何してる!?何でそんな格好してるんだ!?」
ズズ・・・・・・
うう・・ううう・・・・
そいつは歩くのをやめ、気味の悪い唸り声と共に振り返った。
「っ!!な・・・んだと・・・!?」
紫苑は自分の身体が、総毛立つのを感じた。思考も何もかもが停止する。
そいつの顔はグズグズに腐敗し、ほとんどの皮膚がはがれていた。
口はだらしなく半開きになり、時折何かを噛むかのようにもぐもぐしている。
その度に、頬の筋肉が動くのがはっきりと見て取れた。
眼は白く濁っており、紫苑の方をしっかりとを見ているのかさえ分からない。
「そ、そんな・・・バカな・・・!?夢でも見てるのか!?何だお前・・・!!」
死体が歩いている・・・。そいつはホラー映画に出てくる“生ける屍”そのものだった。
うう・・あ・・・あああ・・・・・・
ずる・・・ずず・・・
ふらり、と両手を突き出し、よたよたと紫苑に迫る。
「くっ!(この現実感・・・余興なんかじゃない・・・!やらなきゃ殺られる!!)・・・はぁっ!!」
バキィッ・・・!!
ううああ・・・・
どしゃ・・・っ・・・
紫苑はデッキブラシを横薙ぎに振り、ゾンビの脇腹を思いっ切り殴り飛ばした。
まともに入り、ボキリと肋骨が折れる感触が手に伝わる。
ゾンビは壁に叩きつけられるように倒れ込んだ。が・・・。
う・・うう・・・・
ずず・・・・・
ゾンビは何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がり、再度、紫苑へと両腕を伸ばして歩み寄る。
「っ・・・!効いてないのか!?普通なら立つどころか、意識飛んでてもおかしくない威力のはずだぞ!?」
脇腹が痛んでいる様子もない。それ以前に、ダメージそのものを感じていないようだった。
「くっ・・・!うあああああああっ!!」
ブンッ!!
紫苑はもう一度デッキブラシを横薙ぎに振り払った。
ボン・・・ッ・・・!!
・・・・・!!
ブシュウゥゥゥ・・・
どさ・・・っ・・・
振り払ったブラシの部分がゾンビの頭を吹き飛ばす。
粘性が増し、赤黒く変色した血を噴出しながら、ゾンビは後ろへと倒れた。
頭が無くなっているにも関わらず、ゾンビはもぞもぞと動き続けている。
壁には吹き飛ばされた頭が、石榴のように弾けていた。
「はっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・い、一体・・・どうなって・・・!?」
紫苑はゆっくりと死体に近づき、見下ろした。
ひく付いてはいるものの、起き上がってくる様子はない。
「頭を潰せば・・・倒せる・・・のか。 ? これは・・・!?」
紫苑はしゃがみ込んだ。
あまりの匂いに吐き気を覚えながらも床に広がった血を調べる。
「凝固し始めてやがる。って事は・・・こいつはもうとっくに死んでたって事か・・・。マジで死体が歩いて襲い掛かってきたのか・・・!?そんなバカな・・・!? っ!」
ばっ・・・!
紫苑は後ろに気配を感じ、飛びのいた。
・・・・・・
「あ、あんたは・・・!」
そこには、頭を垂れていて顔を伺えないが、さっき会った船員がいた。
首から血を流し、ゆらゆらと立っている。
「そ、そんなキズでよく・・・。いや、それよりも早く手当てを・・・。!?」
うう・・・・・
船員が顔を上げる。その眼は・・・白く濁っていた。
「なっ!?」
ああ・・ああああ・・・・
ゾンビと化した船員は両手を突き出し、紫苑に襲い掛かった。
「っ!」
ヒュッ!
紫苑はその脇を走り抜け、間合いを取る。
うああ・・・う・・・・
どしゃっ・・・!
掴みかかろうと前のめりになった船員は、先程紫苑が倒したゾンビにつまづき、受身もろくに取らずに倒れた。
「こ、こんな・・・・。」
うう・・・う・・・
うめき声を上げながら、起き上がろうとしている。
が、その動きはのろのろと遅い。
ようやく立ち上がり、紫苑の方へと向き直った。
また、両手を突き出してふらふらと歩いてくる。
ああああ・・・・!
「(掴まれるだけでもやばい・・・!) くっ!」
ガッ・・・!
紫苑はデッキブラシを船員のあごに当てた。
ううぐ・・・ぐううあ・・・
「こ、この力、人間じゃない・・・!くそっ!何考えてんだバカ野郎!!冗談にも程があるぞ!!」
紫苑は声を上げて言った。が、聞こえている様子はまったくない。
自分と紫苑の間に、ブラシがある事すら意に介さないようで、両手をばたつかせて掴みかかろうともがいている。
「っ! (夢でもなんでもない・・・!紛れもなくこれは現実・・・!)」
紫苑は、背中に生ぬるいものが伝っていくように感じた。同時に震えが駆け抜ける。
「(キズを負わされただけでもアウト・・・って事か。となると・・・。) っ!」
紫苑は相手の動きを制しつつ階段の傍まで下がった。
「すまん! うりゃあっ!!」
ぐん・・・っ・・・!
紫苑は一瞬身を引き、船員のバランスを崩しつつ階段の方へと押し飛ばした。
うああぅ・・・・!
ズダダダダ・・・ッ・・・!! ブシュ・・・ッ・・・!
船員は背中から階段を転げ落ちていった。
下に叩き付けられた衝撃で右肩から先が千切れる。
「げ・・・っ!?この程度で簡単に腕が・・・!?そんなに早く腐るのかよ!?」
う・・・・うう・・あ・・・
それでも尚、ゆっくりと半身を起こし、立ち上がろうとしている。
千切れた肩から、ぼたぼたと黒ずんだ血が流れ、階段を染めていく。
最初のゾンビと合わさって、血生臭い腐敗臭が辺りを覆った。
「っ・・・!ふっ!」
ブンッ!! グシャッ!!
紫苑が投げたブラシは、船員の頭を叩き潰した。
最初に倒したゾンビ同様、四肢をひく付かせてはいるものの、もう起き上がってくる様子はない。
じわり、と肩と首からドス黒く変色した血が広がっていく。
紫苑はその場にへたり込んだ。心臓が早鐘のように打っている。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・。夢なら覚めてくれ・・・。こんな事あってたまるか・・・。」
紫苑は後ろの死体を見ながらつぶやいた。身体が小刻みに震える。
「(戻らねぇと・・・。ますますこんな所でグズグズしてられん・・・。)」
紫苑は立ち上がり、部屋へと駆け出した。
◆
2:45 am
◆
「今部屋の前に着いた。開けてくれるか・・・。」
紫苑はそう言って電話を切った。
がちゃっ・・・
ドアが開き、一真が顔を出す。
「御影さん!無事だったんスね!・・・だ、大丈夫っスか?」
紫苑は答えず、そのまま部屋に入った。
「どうしたんですか?やけに顔色悪いですよ?」
祐樹が心配そうに聞く。が、それにも紫苑は答えなかった。
「?」
祐樹と一真の二人は顔を見合わせた。
しばらくして、ようやく紫苑が口を開く。
「言っても信じねェよ・・・。実際この眼で見たにも関わらず、オレ自身が信じられないんだからな。」
紫苑はそれだけ言って、自分の荷物を確認し始めた。
「何があったんスか!!言ってくださいよ!調べに行って帰って来たのは御影さんだけなんスよ!?」
一真が声を荒げた。祐樹はそれを制しつつ言った。
「言ってください。俺らも知りたいんです。」
紫苑は手を止め、しばらくしてから二人の方を見ずに言った。
「ゾンビに出くわした。それから船員が一人いたが、彼も襲われて・・・その後ゾンビになってオレに襲い掛かってきた。」
二人はまた、顔を見合わせた。
「準備しろ。深月ちゃん達の部屋に移動する。後の事はそれから考える。」
「ぞ、ゾンビって・・・あの映画とかに出てくるやつですか!?」
「そうだよ。他にあるか?」
「ま、まさかそんな・・・。」
「だから言いたくなかったんだ。信じるはずがないからな。見に行くなら好きにしろ。死体が二つ転がってるはずだ。命の保障はしないがな。」
「・・・本当・・・みたいですね。」
「ああ。夢なら早く覚めて欲しいよ。」
「ま、マジっスか・・・!?」
「どうするんですか・・・?」
祐樹が準備を整えつつ聞いた。
「向こうへ行ってから考えるって言っただろ。」
紫苑は少し苛立たしげに答えた。
「・・・すいません・・・。」
「・・・いや、オレこそすまない。それより武器になりそうな物・・・何か持ってるか。」
「い、いえ・・・・俺は特に・・・。」
祐樹は答えた。
「一真は?」
「お、俺は・・・ほら、サバイバルゲームやろうって言ってたから、ガス式の銃をいくつか・・・。は、ハンドガンですけど・・・。」
紫苑はここでようやく顔を上げた。
「ないよりはマシ・・・か。改造は?」
「してます。違法ですけど。」
「よし。ガス圧をギリギリまで上げるんだ。祐樹にも一つ渡してやってくれ。」
「はい。」
「それから、やる時は頭を狙え。どうやら頭を潰せば比較的楽に倒せるみたいだからな。とは言っても、ガス銃程度じゃ頭蓋骨は通せないだろうから・・・、少し難しいが眼を狙うしかない。・・・・できるか?」
紫苑はそれぞれの眼を見ながら言った。
「やってみます。」
「出来ると思います。腰抜かさなければ、ですけど・・・。」
「最初は無理だろうな。オレも何やったか覚えてないからな。頭を吹っ飛ばせたのは運が良かった・・・。」
紫苑は荷物から取り出したグローブを手にはめながら言った。
「それ・・・、何ですか?グローブ・・・?」
一真が不思議そうに聞いた。
「オレの武器。専用のな。」
「グローブが・・・ですか?」
「すぐに分かるさ。さて・・・。」
紫苑は携帯電話を取り出し、かけた。
「オレだ、御影。深月ちゃん?」
〈はい・・・!無事だったんですね!?〉
「ああ。これからそっちへ行く。合図、覚えてるな?」
〈はい。あたしの名前と、3回・・・でしょ?〉
「ああ。何事もなければ5分以内にそっちに着く。」
〈何事もなければ・・・って・・・?〉
「その話は後。万が一、オレの声が慌ててたら、それなりに早く開けてくれな。」
〈は、はい・・・よく分かりませんけど・・・。〉
「理由はそっちで話すよ。じゃ、また後で。」
〈はい。〉
携帯電話をポケットにしまい、紫苑は荷物を持った。
「行くぞ。二人とも、後ろの警戒を頼む。ただし、無駄撃ちはするなよ。後、攻撃する時は荷物を置く事。持ってちゃ満足に動けないからな。」
「分かりました。」
「上への階段までは一気に走る。その後は・・ !」
話していた紫苑が、ドアを睨みつけた。持ち上げた荷物を下ろしゆっくりとドアに近づく。
「どうしたんスか・・・!?」
うう・・・あ・・・・・
ずず・・・・・ずず・・・・・・・
「!!」
「い・・・、今の・・・は・・・?」
「ここまで来たらしいな。オレの匂いに釣られて来たのか・・・?ちっ・・・相当な数でいやがるぞ・・・。」
紫苑はドア横の壁に向かって構えた。
「・・・この辺り・・・か・・・。」
「な、何してんスか!?」
「・・・。ふっ!!!」
ドンッ!! ドガン・・・ッ・・・!!
ずず・・・・どしゃ・・・っ・・・
「う・・っお・・・!?」
紫苑が拳を突き込むと外で派手な衝撃音が響き、後にトマトのように柔らかい物が落ちて潰れるような嫌な音が聞こえた。
「片付いた。・・・。もうこの前の通路にはいないようだな。チャンスだ。出るぞ!」
「い、今何したんスか!?」
「“裏当て”だよ。」
「“裏当て”・・・!?」
「空手の技の一つだよ。“遠当て”の一種だ。」
「な、何ですかそりゃ!?」
「話は後。早く!」
「は、はい・・・!」
がちゃ・・・っ・・・!
紫苑がドアを開け、外の様子を確認してから出る。二人も後に続いた。
「う・・・っ・・・!ま、マジ・・・でゾンビ!?って、本当に当たってるし・・・!」
「く・・・臭・・・っ!」
「早く行くぞ!次が来る前に移動を終える!」
紫苑達は走り出した。
「う、うわ!み、みみ御影さん!!後ろから!!」
「っ!気配が取りにくい・・・!走れ!」
紫苑達の後ろから数体のゾンビが両手を突き出し、歩いて来ていた。
階段までは2,30m。一気に駆け抜けて階段を上がった。
「!!」
うう・・ああああ・・・・
「ちぃっ!」
上がり切ったすぐ傍の所に、ゾンビが一体立っていた。紫苑の位置からは数mしか離れていない。紫苑に気付いたゾンビは、うめき声を上げながら紫苑に掴みかかってきた。
「み、御影さ・・・!」
「っ!」
ヒュ・・・ッ・・・!!
紫苑は右手を振り払った。
ピュンッ ザン・・・ッ・・・!
一瞬後、鈍い音と共にゾンビの首が輪切りになって飛び、膝から崩れるようにその場に倒れた。
「い・・・!?」
「行くぞ!あの部屋まで走れ!」
「は、はい!」
指し示した部屋に辿り着き、紫苑はドアを叩きながら叫んだ。
「深月ちゃん、オレだ!開けてくれ!」
ドンドンドン・・・!
ガチャッ・・・!
紫苑がドアを叩く。と、即座にドアは開けられた。
「先輩!」
「二人とも早く入れ!」
「はい!」
「ひええ・・・!」
一真と祐樹の二人を先に入らせ、紫苑も続いて入った。
すぐさまドアを閉め、カギを掛ける。
「・・・ふー・・・・。」
紫苑は大きく溜息を吐いた。
「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・!」
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・はっ・・・!」
紫苑以外の二人は激しく息を切らしている。
「ありがとう、深月ちゃん。助かったよ。」
「は、はい。い、一体何が・・・。こんなに息切らして・・・?」
「そうですよ・・・。さっきの声といい、御影さん達の様子といい・・・、一体何が起こってるんですか!?」
深月と共に、部屋にいた一人、村木真理が怪訝な顔をして聞いてきた。
「い・・・、言っても・・・信じねェよ・・・。」
一真は息を切らしながら答えた。
「はぁ?そんなの言ってみなきゃ分からないでしょ!?」
「ははっ。さっきのオレと同じ事言ってら。」
一真は苦笑いしながら言った。紫苑が横から説明した。
「この船・・・、死体がうろついてるんだよ。オレが倒したやつだけでも4体。無視したのを加えればすぐ傍に少なくとも7体以上はいるはずだ。すぐそこの階段の傍にもいた。」
「・・・。」
「・・・へ?」
二人は唖然とした。直後、堰を切ったように笑い出す。
「な、何言ってるんですか!そんな事ある訳ないでしょう!?みんな揃って夢でも見たんじゃないですか!?」
「そ、そうですよ・・!いくら何でも・・・。」
「見てねェからそんな事が言えんだよ。」
二人の言い方に、むっとした様子で一真が言った。その直後。
ドカンッ!!
うああ・・・う・・・・
バン・・・ッ・・・バン・・・ッ・・・
「ひっ・・・!?」
「!」
「こ、ここまで・・・!?」
「な、何!?何なのよ!?」
紫苑以外はドアから大急ぎで離れて行った。部屋の奥で固まっている。
「み、御影さん・・・、またやるんですか!?」
祐樹は聞いた。
「いや・・・、それより静かに。しばらく動くな。」
紫苑は皆を制しつつ言った。
バン・・・ッ・・・バン・・・・・・
うううあああ・・・・・
外ではゾンビが唸りながらしつこくドアを叩いている。
「・・・。」
「っ・・・。」
紫苑達は息を殺してじっとしていた。誰一人微動だにしない。
バン・・・ッ・・・・・ばん・・・・・・・・・
うう・・・・
ずず・・・・ずず・・・・ずず・・・・・・・・・・ずず・・・・
暫くすると、諦めたか、それとも目的を忘れたのか、ドアを叩くのをやめ、ゆっくりと遠ざかって行った。
「・・・はーーー・・・・・。」
紫苑の後ろで大きなため息が聞こえた。
「分かったか・・・?オレ達が冗談言ったり、揃って夢見てた訳じゃないって事が。」
紫苑は少しため息混じりに言った。
「そんな・・・死体が歩いてるなんて・・・ホラー映画じゃあるまいし。」
真理がまだ信じられない、と頭を振った。
「一真も言ったが、見れば嫌でも信じるさ。できれば見ない方がいいだろうがな。」
「そ、それで・・・これからどうするんですか・・・?」
深月が紫苑の傍に来て聞く。
「夜明けまではまだ少し間がある。他のやつらに連絡して、明けるまではそのまま待機するように言ってくれ。明るくなってからここを出る。それまでしっかりと休むんだ。」
「は、はい・・・。」
それぞれ携帯電話を出し、連絡を始める。
その間に、紫苑は荷物をまとめて置き、ドアの傍に行った。
「ま、また出て行くんスか!?」
「ああ。機関室と船長を探しにな。少なくとも、機関室だけは見ておきたい。」
ぎり・・・っ・・・
紫苑が拳を握り締めた。軋むような音が響く。
「御影さん、少し休んだ方がいいんじゃ・・・。戻って来たばっかりじゃないですか。」
祐樹の言葉に、紫苑の身体から力が抜けた。
「・・・。そう・・・だな・・・。」
どす・・・っ・・・
紫苑は壁にもたれかかり、そのまま座り込んだ。
自分の荷物からボトルを取り出し、口をつける。
「ふぅ・・・。確かに・・・僅かな間とはいえ、気を張り過ぎた・・・。」
紫苑は眼を閉じ、身体から緊張を抜く。それに倣い、皆もベッドやその場に座った。
「御影さん・・・さっきの・・・どうやったんスか?」
一真が恐る恐るという風に聞いた。
「さっきの・・・というとどっちだ?部屋から出る時か?」
「両方です。部屋の時は“裏当て”とか“遠当て”って言ってましたけど・・・。」
「“裏当て”は、打点とは別の所、簡単に言えば拳から離れた所に、力点、つまり打撃によって生まれた衝撃の力をずらして当てる技術さ。“当てた所”と“当たる所”が違うって訳だな。」
「えーと・・・?」
「こういう事さ。・・・・・・ふっ!」
シュッ・・・ドンッ!
紫苑は座ったまま、向かいの壁に対して拳を軽く撃った。
拳が空気を切る微かな音と少し遅れて壁に衝撃が走り、拳の形にへこみができた。
「い!?」
「ひええ・・・!」
皆は一様に目を丸くした。
「この場合、打点はオレと壁の間にある空気、力点はあの壁って事。これが“遠当て”だ。壁の向こうにいたゾンビの頭を吹っ飛ばしたやつだよ。打点の部分でももちろん痛いけど、ダメージは威力が徹る力点の方が遙かに大きい。水を詰めた風船の中に、もう一つ小さな風船を入れておいて、中のやつだけを割るって芸当も可能なんだ。」
紫苑は言いながら拳を下ろした。
「す・・・すげー・・・!強えって言ってたのはマジだったんスね・・・!んじゃぁ、ついさっきの、階段上がってすぐのやつは?」
「あれは、え・・・と・・・。」
紫苑は部屋を見回した。と、部屋の隅に置いてある花瓶に刺さった花が目に入った。
「祐樹、その花、一つ取ってオレの方に投げてくれるか?」
「え?あ、はい。」
祐樹は立ち上がり、花を一本取った。
「え・・・っと、御影さんに向かって投げるんですか?」
「ああ。それでいいよ。」
「はい。じゃ、いきますよ?」
「ああ。」
「よ・・・っ・・・。」
ひょい・・・っ・・・
投げられた花は放物線を描き、紫苑に近づく。
ヒュッ・・・シュパ・・・ッ・・・!
紫苑が左手を振るう。と、花は一瞬で四つに斬られた。
「っ!?」
「な、何やったんスか!?」
「て、手を振っただけなのに・・・。花が・・・!?」
「あの時と同じだろ?」
「は、はい・・・!」
「タネ明かししようか。」
紫苑は皆の反応に少し笑いながら立ち上がった。
「祐樹、離れてた方がいいぞ。」
「あ、はい・・・!」
祐樹が離れたのを確認すると、紫苑は両手を上に上げ、軽く振りかざした。
ヒュォ・・・ッ・・・・! ヒュンヒュンヒュンヒュン・・・!
風を切るような音と共に、紫苑の周りに微かにキラキラとした物が舞う。
「な・・・、何ですか・・?そのキラキラしてるのは・・・?」
「“弦(いと)”だよ。眼に見えない程にまで細く仕上げた特殊合金製のな。お前らが見たように、傍目にゃ手を振っただけで、いきなり斬られたようにしか見えないだろうけどな。」
「な、何かきれい・・・。」
「そ、それで専用の武器なんスか・・・。」
「ああ。オレ以外が使えば、絡み付いて自分が斬られる。オレ専用にオレ自身が造った武器だからな。」
「す、すげ〜〜・・・。」
「はぁぁ・・・・・。」
「よっと・・・。」
ヒュルッ・・・!
紫苑の指先から放たれていた弦が、すべて戻る。
「あ、消えた・・・。」
「と、まぁこんなとこだ。ゾンビや花を斬ったのは、この弦って訳だ。他にも一つ、武具はあるけど・・・、ま、それは見たらそれ、ってすぐに分かるもんだから、またその内な。」
紫苑は座りなおしながら言った。
「な、何の為に・・・そんなに強くなろうとしたんですか・・・?そんな武器まで造って・・・。」
深月は聞いた。
「・・・。守る為・・・かな。」
「何を・・・?」
深月をじっと見詰めながら、紫苑は答えた。
「オレにとって・・・何より大切なものを、だよ。」
「・・・・・・うん。」
「はぁ・・・???」
「ははっ・・・キザったらしかったかな。・・・さて・・・、そろそろ行くか。」
紫苑はボトルから水を飲んだ後立ち上がり、ドアへと歩く。
「も、もう行くんスか!?」
「ああ。さっさと調べて、オレも休む。今の内に行っとかないと、このまま時間開けたら寝ちまいそうだ。」
紫苑はドアに手を掛けながら言った。
そのままの状態で意識を集中し、外の様子を探る。
「・・・。」
「ま、まさか・・・ドアの前にいるんですか・・・?」
祐樹が聞く。
「いや、いない・・・と思う。奴ら、もう死んでるせいか・・・動いてないとほんとに位置を掴みづらくてさ。オレ達の部屋から出て来る時も、いないって言ったのに後ろから来てたろ。あの時に掴み難いんだって事が分かって・・・、どうしようかと思った。全く、倒した奴以外に、すぐ傍にいなくてよかったぜ・・・。気配が消えたり現れたりしてた理由がやっと分かった。部屋で最初に、消えた気配が増えた、って言ってたのも説明がつく。殺された奴らがゾンビとして生き返ったんだ。それもすぐに。」
「ひええ・・・!や、やな事言わないで下さいよ!」
今になって一真があたふたとしだした。
紫苑は笑いながらドアに額を当て、より集中しようと眼を閉じる。
「・・・やっぱりそこに一体いやがるな。」
「っ・・・!」
深月が息を呑む。
「すぐ片付くさ。大丈夫。」
紫苑はドアの左手数m程の所で構えた。
「・・・はっ!」
ドンッ!! ドゴォ・・・ッ・・・ガンッ・・・!!
気合一閃。衝撃と共に、外で砕けるような音と、叩きつけられるような音がした。
「ひええ・・・!」
「すげ〜〜・・・!」
「今までに片付けたのは、これで4体、無視したのが4体・・・。船内全部の面積とオレが見て廻った所の面積から考えて・・・、単純に計算したら最低100体近くうろついてる事になるな・・・。」
「げ・・・・。」
「他にもやられた人達がいるなら、いや間違いなくいるんだろうが・・・、更に増えそうだな。」
紫苑は溜息を吐いた。
「あ、頭おかしくなりそう・・・。」
真理が自分の身体を抱くようにして震えている。
「誰か・・・助けに来てくれねェのか・・・。」
一真も諦めがかった様子でぼやいた。
「(・・・マズイな。気が落ちた・・・。)」
部屋の雰囲気が重くなった。
「少しでも早くここから出た方が良さそうだけど・・・、外は真っ暗闇。おまけに森、ときてる。やつらは島から入って来たとしか考えられない・・・つまり、島も安全じゃない。が、このままここでじっとしてる訳にも行かない。何とかして帰る方法を見つけないと・・・。」
「そう・・・ですね・・・。自分達で何とかしないと・・・。」
紫苑の言葉に、深月は思いの外しっかりと応えた。
「・・・。」
少し驚いた表情で深月を見る。
「な、何・・・?」
「いや、意外に根性座ってるな、と思って。」
「・・・。怖い・・・ですよ・・・。どうしようもない位に・・・。ほら。」
見ると、深月の手は小刻みに震えていた。深月は続けて言う。
「でも、だからってわめいててもどうにもならないじゃないですか。私はこんな所で死にたくなんかないし、諦めもしませんよ。まだ、やりたい事だっていっぱいあるもん。絶対に帰りますよ。生きて。」
深月は紫苑を見据えた。震えは止まっている。
「上等だ。君は、まだ大丈夫だな。」
紫苑は笑って、深月の頭にポン、と手をおいた。
「にゃ・・・。“私は”・・・って?」
「いや、こっちの話さ。気にするな。」
「・・・?」
その後、暫く眼を閉じて、外の様子を探っていた紫苑は、ドアの所へ行き、言った。
「さて・・・と、行ってくる。機関室以外も廻って、船の中にいる奴は、とりあえず出来るだけ倒してくるよ。ここを出る時、楽になるようにな。」
「ま、マジッスか!?」
「ああ。そうすりゃ、出る時に少なくともこの中で、お前ら自身が闘わなくちゃならない状況は避けられる。そのついでに、何か武器になるものも探してくる。これだけの大型客船だ。警備用にとか・・・、多分何か手に入るだろ。近接戦はやらない方がいいだろうけど、銃とか手に入れば一真は貴重な戦力になりそうだしな。」
「そ、そりゃ・・・、そんなのがあればやれますけど・・・。」
「遠距離から攻撃できるし、気持ちも楽だろ?」
「そりゃもう・・・!」
「手に入ったら最初にお前に渡す。その時は頼むぜ。」
「はい。」
「よし。じゃ、行ってくる。」
紫苑はもう一度気配を探り、ドアノブに手を掛けた。が、
「で、でももう今日は・・・!いくら先輩が強くても、やっぱり今はもう行かない方が・・・。明るくなってからでもいいじゃないですか!真っ暗な中を行くより、その方が・・・。」
深月が紫苑の腕を掴み、泣きそうな顔で言った。不安感が急に増したのだろう。
「う・・・ん・・・。一理ある・・・んだけど・・・。」
紫苑は思案する。
今は少しでも情報が欲しい。
だが、確かに明るくなってから動く方が、船倉など下の方はともかく外での行動は制限がかなりなくなる。
暗闇に意識を飛ばす必要がないからだ。
「いて下さい・・・。ここに・・・。」
深月の手がまた震えていた。
「・・・分かったよ。そうする。」
紫苑がドアから手を話した。深月の顔が少し明るくなる。 その時。
「あ・・・っ!」
突然、真理が声を張り上げた。
「っ!び、びっくりした・・・。な、なんだよ!?」
「あ、ご、ごめん・・・。いや、その・・・携帯使って助け呼べばいいんじゃないかって・・・。」
「そうか・・・!そうだよ!互いに連絡取り合ってるのに、すっかり忘れてた・・・!これで連絡取れるんだから掛けりゃよかったんだ!」
祐樹が掛けようと携帯電話を取り出す。
「待った!」
が、紫苑がそれを止めた。
「な、何でですか!?」
「どこに掛けるつもりだ?」
「ど、どこって・・・警察か、海上警備ですよ。その前に番号聞くつもりでしたけど。」
「そこに掛けたとして・・・、どう説明するんだ?」
「どうって・・・。」
祐樹は答えを詰まらせた。
「死体が歩いて襲ってきてます、とでも言うつもりか?そんな事言っても信じてもらえないぞ。お前らや、深月ちゃん達がそうだったようにな。」
「じ、じゃぁどうするんですか!?」
真理が食って掛かった。
「さぁな・・・。信じてもらって・・・且つそれなりの装備で来てもらう必要がある・・・。」
「メールで写真を添付したら・・・!?」
「誰が写真を取るんだ?」
「あ・・・。」
「御影さんなら・・・!」
「嫌だよ。そこまで近づきたくないし、奴らと対峙してる時にそんな余裕はない。」
「・・・。」
「やつらは倒すか逃げるので精一杯だ。それに、もともと普通の人間だったんだろうから、それだけでも気分良くないのに・・・、それ以上の事はしたくないよ。」
「うー・・・。」
思案を巡らせ、皆黙り込んだ。暫
くして紫苑が口を開く。
「機関室に行きたかったのはその為さ。無線もあるだろうが、それより救難信号が出せるはずだろ?その救難レベルを最大にしておけば、それなりの装備で来てくれるんじゃないかと思ったんだ。出来るかどうかは知らないけどな。」
「あ・・・。」
深月がすまなそうに紫苑を見た。
何か言おうとするが、紫苑は微笑んでそれを制する。
「ま、深月ちゃんの言う通り、今はもう行かないよ。夜明けまで待つことにする。」
紫苑は荷物から小さなビンを取り出した。
「それは・・・?」
「香だよ。“蒼き輝き(クリスタル・デルタ)”って名前のな。このままじゃ寝れないだろ?短い時間でもしっかり休めるように、さ。」
そう言ってビンを開け、少し傾けて指で弾いた。
中の液体が揺れ、一滴落ちる。
紫苑はそれが落ち切る前に腕を振るった。
バチュン・・・ッ・・・!
「わ・・・っ・・・!?」
「ひゃっ・・・!?」
弦同士がぶつかり、火花が散ると、雫が一瞬弾けるように青い光を放った。
少し後に、極々薄い煙と共に部屋の中に催眠と体力回復の作用を持つ微かな甘い香りが漂う。
「あ・・・、いい香り・・・。」
「おお・・・?な、何か・・・急に眠気が・・・。」
一真がふらり、と倒れるように壁にもたれかかった。皆、同じように、ぼーっとし始めている。
「みんな、安心してゆっくり眠りな。警戒はオレがしておく。」
「でも・・・、先輩も・・・休まない・・・・・と・・・・。」
とろんとした表情で、深月が言う。他は既にその場で寝息を立てていた。
「うん。休むよ。大丈夫。」
「・・・すぅ・・・・・・・。」
深月は頷くと間をおかず眠りに落ちた。
紫苑はそのまま倒れそうになった深月を慌てて抱え、ベッドに寝かせる。
「・・・。君は・・・君だけは・・・、何があろうと守り抜いてみせる。このオレの命に掛けて・・・、必ず帰すよ。」
紫苑は深月の顔にかかった髪の毛をすいて、つぶやいた。
「少し・・・オレも深めに寝ておくか・・・。さすがに疲れた・・・。」
深月にシーツを掛けてやり、そのベッド脇に座り込んで大きく息を吸い込む。
紫苑はそのままベッドにもたれかかって眼を閉じた。