【第2話】
移ろう記憶は陽炎の如く。追憶の日々は蜃気楼の如く。
艶やかに舞う花びらは何一つ、真実を告げられることも無く・・・
〜デルシアの花園〜
1997年10月6日
「うん。待ってるからね。お兄ちゃん。でも、お仕事、一杯あるんでしょ?」
明るくもどこか翳りのある声は、受話器へと向けられている。
「・・・エヘヘ。こっちはラベンダーが一杯咲いてるよ。あま〜い香りが部屋の中にも入ってきてるし」
平穏な日々が続いていた。いや、その地には、平穏を脅かす要素自体が存在しなかった。
「え。今、お仕事中なの?ダメだよ。ちゃんと真面目にやってよね!」
電話の相手が現在仕事中だと聞いて、やや厳しい口調になる。
“・・・わかったわかった。そう怒るなって。・・・じゃあ、またな。ミルア・・・”
向こう側の声は焦った調子で宥めた後、別れを告げた。その声にもやや翳りが感じられる。
「じゃあね。お兄ちゃん・・・」
ミルアはそっと受話器を置く。リン、という音が、どこか哀愁を漂わせた。
1998年7月24日
“・・・それじゃ、兄ちゃん、頑張ってくるから・・・”
いつも通りの幸せな兄妹のやり取りだった。しかし、ミルアが聞く兄の声の後ろでは、いつに無く慌しい雑音が飛び交っていた。
「うん。気をつけて。あたし、声しかお兄ちゃんに届けられないけど、ずっと・・ずっと 見守ってるからね」
なんだかそれは遠い別れのようだった。実際は、単に森で行方不明になった特殊部隊の捜 索、というだけの任務に過ぎないのだが。
その森は山から滝のように流れ、街の近辺にまで及んでいるためにかなりの面積がある 故、行方不明というのは別段不思議なことではなかった。
・・・受話器の向こうで、鼻をグスン、とすする音が聞こえた。
「やだ。お兄ちゃん。泣いてるのぉ?」
ミルアは茶化すように悪戯っぽく言った。
クスクス、とこぼれる笑みを、空いている手の ひらでそっと覆う。
「う、うるさい。・・・ちょっと夏風ひいただけだよ!」
強がっていても、その声は僅かに震えている。涙声だ。
「最近変な怪物が出るっていうけど・・・し、信じてるわけじゃないのよ。でも・・・」
「わかってる。兄ちゃんを信じろ。俺はS.T.A.R.S.に選ばれた男だ!」
「うん。信じてる!頑張ってね」
その目は、輝きに満ちていた。
1998年9月4日
「そう。あたしのお兄ちゃんはすっごい危険な場所で働いてるの。でも、絶対に生きて帰ってくるの。すごいでしょ!」
少女たちのスカートが風に靡く。その中でミルアは、他の少女たちに自慢話を語る。
まだ、日差しは眩しい。
1998年9月24日
ミルアはテレビに噛り付く。
ブラウン管には、軍用車の周囲を、同じ迷彩色の服を着た男 が取り囲んでいるのをバックに、記者がやたらとでかいマイクを握り締め、状況を視聴者へ と伝える。
「・・・9月中旬からラクーンシティでは内部と外部との通信が断たれ、中の状況は完全に把握できない・・・状態となっています。今月18日・・・」
記者は言葉に窮する。
全ての人間は、その閉ざされた空間の形容に苦しんでいるようだ。
「・・・軍は今月末にかけてラクーンシティと外部を結ぶ全街道の封鎖を決定しました。しかし、全経路の確認など膨大な時間を要する作業もあり、早急な処置が懸念されます・・・」
心配と、愛する兄のために何も尽くすことのできない焦燥感が、ミルアの胸を締め付ける。
「・・おにい、ちゃん・・・」
言葉が、雫とともにこぼれ落ちた。
1998年11月2日
ラクーンシティは事実上、消滅した。
軍による滅菌作戦により新型の気化爆弾を使用され、かつての町並みは虚無の平原と化した。
それなのにミルアの周囲の環境には全く変化が無かった
。
毎日が憂鬱になる。生きる気力も無くなりつつある。しかしミルアは、刃で自らの命を絶とうなどという気も起きない。
・・・今日もベッドから身を起こすのが億劫になる。
すると、耳障りなバイクのエンジン音が聞こえた。
そして家の前でエンジンを切ると一つ の足音がこちらへ向かってきた。 靴音から男だと分かった。
そして男は、優しく玄関の戸を コンコン、とノックした。
「郵便でーす。どなたかいらっしゃいますかー?」
男は明るい声で呼びかけた。
(はぁ・・・面倒だなぁ・・・)
ミルアは布団を顔まで被り、
「ねぇー。パパー。出てくれなーい?私、今離せないの」
と、でたらめな嘘をつき、父親を呼んだ。
しかし返ってきたのは無言の応答で、そこでやっとミルアは、今日が平日だったことに気付く。
(もう・・・仕方ないわね・・・)
「はぁーい。ちょっと待っててくださーい」
(・・・久しぶりにこんな大声を出した気がする)
ミルアは寝具を脱ぎ、昨晩椅子に掛けたままだったワンピースに体をくぐらせると、大急ぎで外へと出た。
そこでミルアが見た姿は、想像していた郵便局員などではなかった。
その男が着ているの は、明らかに・・・軍服。
驚きに駆られ、暫く言葉を失う。 そのままでは話が進まない、と感じた男は、先に口を開いた。
「ドナルド・ヴィッカーズ様の娘さんでいらっしゃいますか?」
明るい声は、やや曇ってしまった。
「はい・・・。・・・兄のことですか・・・」
言葉は噛み合っていない。しかしその意図を掴み、男は首肯する。
「大変申し上げ難いのですが、ブラッド様は・・・」
・・・その後、男からこのラクーンシティ消滅事件の被害者、もしくは行方不明でその生命が絶望視される者の親族へ、一通 一通追悼の便りを送ることが彼の仕事だ、という話を聞いた。
“鎮魂のメッセージ”と、渡された手紙には記されていた。
涙は流さなかった。ただ、兄のためにできること。それは前を向くこと。涙を流さずに。
もうすぐデルシアは厳しい冬を迎える。草木は枯れ、あらゆる生命は長き眠りに就く。
ブラッド・ヴィッカーズの魂も、凍てつく冬の寒さを懐かしみ、永き眠りに就くのだろうか・・・